見沼田んぼの散歩道 > 見沼田んぼの基礎知識 > 見沼に関わる民話と伝説
見沼田んぼの周辺にはたくさんの民話や伝説が残されています。
見沼散歩の途中で、そんな伝説を思い出してみるのも楽しいかもしれません。
左甚五郎(日光東照宮の眠り猫を作った人)が日光からの帰りに大崎村を通った折り、見沼の竜がしばしば暴れて困っているということで助けを求められた。
甚五郎は竜を彫り、祈りを込めて国昌寺の山門の欄干にけけると、それ以来竜が暴れることが無くなった。
ところが、あるとき葬式があり、棺が件の山門をくぐった途端急に軽くなった。
驚いた村人が棺を開けてみると中の死体は消え去っていたという・・・
このことがあってから山門は閉じられたままとなり、「開かずの門」と呼ばれるようになった。
大和田から大崎にかけての見沼周辺の村々では夕暮れ時になるとどこからか妖しげな笛の音を響かせる美女がいたという。
村人の若い男性たちは、この音色に誘われて美女のあとをついてゆき、見沼で姿を消してしまうという事件が相次いだ。
村人は恐れおののき、「これは見沼の主のたたりに違いない」と供養塔を建立すると、このような怪事は起きなくなったという。
夏の夕方、笛好きの女の子が見沼のほとりで笛を吹いていると、どこからか別の笛の音が聞こえてきた。
たどっていくと古井戸がありたくさんのホタルが飛び出してきた。
そのホタルについて竹藪にはいると姫達が待っていてこんな話を聞かされた。
「自分たちはこの近くの城にいた者だが、落城の時に見沼に身を投げホタルになった。夕方のひとときだけ笛を吹くことが許されている。供養して欲しい。」
村人はこの話を聞き、大和田の辺りに供養塔を建てて弔ったという。
このときに立てられた供養塔が戦前まで寿能城跡にあったそうです。