見沼緑道は、見沼土地改良区と水資源公団による見沼代用水改良工事によって生まれた空間地を利用して造られた遊歩道です。
神明社は、明治の初頭までは小さな祠でしたが、明治6年に村社となり明治13年に今日のようになったそうです。
さいたま市市民の森・見沼グリーンセンターは、見沼たんぼの北部に位置し、敷地の東側を芝川に、西側を見沼代用水西縁に隣接した、面積約14万平方メートルの緑豊かな施設です。
芝川(しばかわ)は、埼玉県の中央部を南北に流れる荒川水系の一級河川です。
大和田公園は、見沼代用水と芝川にはさまれた自然環境豊かな場所に整備され、体育館や野球場、テニスコートなどがある多目的公園です。
大和田緑地公園は大和田公園の東側、芝川を越えてたところにある緑地公園です。
利根大堰は、利根川中流部(利根川河口から154km地点)に位置し、農業用水、都市用水、浄化用水の取水を行っている可動堰 です。
緑のヘルシーロードは、行田市にある利根大堰から鴻巣市(旧川里村)、騎西町、菖蒲町、白岡町、蓮田市、上尾市、さいたま市、川口市を通って川口グリーンセンター付近まで繋がっている、総延長約56kmの遊歩道です。
寿能城は大宮台地の東端、見沼湿地内にある現在の大宮第2公園に面した台地上にありました。
風車がシンボルとなっている見晴公園は、見沼代用水西縁沿いにあり、近くには市民の森やグリーンセンターがあります。
氷川女体神社は、県内屈指の古社で大宮氷川神社とともに武蔵国一宮といわれてきた。社伝では、崇神天皇の時につくられたと伝えられています。
氷川女体神社のかつての最も重要な祭祀は御船祭でした。
氷川女体神社に隣接したところにある総面積2ha強ほどの小さな公園です。
萬年寺の開創は永正6年(1509年)といわれ、天正19年(1591年)に徳川家康から寺領20石を拝領した古刹です。
当家は片柳村の名主を務めた家柄です。
江戸時代後半の文化文政期に出た守屋巌松斎(本名は藤内)は、華道(正風遠州流)の大師匠として活躍しました。
また、書道にも秀でていました。
見沼通船堀は、我が国最古といわれる閘門式運河です。
享保12年(1727年)、鈴木家は高田家とともに井沢弥惣兵衛為永に従って見沼干拓事業に参加しました。
八丁堤は、関東郡代の伊奈半十郎忠治が築いた人工の堤です。
この堤は、長さが八町(約870メートル)ほどあるのでその名がつけられました。
水神社は、見沼通船堀が開通した翌年の享保十七年(1732)六月の創建と伝えられています。
富士塚は富士山を模して築造した塚で、江戸高田の行者藤四郎が、老若男女だれでも心やすく富士に登山できるようにと、安永9年(1780年)高田水稲荷の境内にこれを築いたのが始まりです。
川口自然公園は見沼たんぼの一角にある、周囲の自然を生かして造られた公園です。
見沼自然の家は、芝川第1調節池付近の見沼代用水東縁に保存された江戸時代末期の農家です。
浦和くらしの博物館民家園は、埼玉県浦和市内に伝わる伝統的な建物を移築復元し、生産・生活用具を収集し、これらを展示公開するとともに、伝統行事等を行なうための施設としてつくられた野外の博物館です。