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見沼通船堀は、我が国最古といわれる閘門式運河です。
享保13年(1728年)、徳川幕府は井沢弥惣兵衛に命じ灌漑用水路である見沼代用水路を開削しました。
そしてその3年後の享保16年、物資輸送を目的に井沢弥惣兵衛によって東縁用水・西縁用水とその中央を流れる芝川とを結んで作られたのが見沼通船堀です。
見沼通船堀は、芝川を挟むように東西二つに分かれており東縁側が約390m、西縁側が約650mあります。
東西の各用水と芝川の水位差が3mもあったため、閘門を用いることによって水位を調整し船を通しました。



見沼通船堀に使われた船は「ひらたぶね」と呼ばれるそこの平らな長さ11m・幅2m程のもので約60kgの米俵100〜150俵積みの小型船でした。
江戸から来た船が八丁河岸に着くと船頭は、近所の人々に声をかけ人々を集めます。
およそ20人くらいの人々が土手から綱を引いて一の関まで引きます。
一の関では水門から勢いよく流れ出る水の上を一気に引き上げます。
そして、このとき二の関は水位を保つために閉められています。
船が一の関にはいると「枠抜き」の人が角落板を一枚ずつ積み上げます。
板を10枚近く積み上げると水位は二の関の敷板の高さまで上がり、二の関に入ったときと同様に船は引き上げられ、代用水まで引かれて通船が終わります。

見沼代用水から芝川へ船が下るときは逆の手順で行い、関に積み上げられた角落板が1枚ずつ外されて楽さを無くして船を通過させます。
このように通船堀の船を通すには、大勢の人々と手慣れた船頭の力が必要でした。
見沼通船堀公園は、JR東浦和駅を降りてすぐ、見沼通船堀のすぐ脇にある広場とあずまや・竹林だけのシンプルな公園です。


※ 本文の一部は見沼通船堀内にある案内看板から転載しています。